東雲湖トレッキングを終えて平野部に下り、鹿追町から旧道道35号の直線道路(現在の国道274号)を通って士幌町へ。足寄国道(国道241号)が国道240号に接続するまでは淡々と。阿寒湖畔から弟子屈町までの阿寒横断道路の区間は、気持ちよくバイクを走らせることができる道です。

釧路市阿寒湖畔のまりも国道(国道240号)との重複区間から分岐して阿寒横断道路(国道241号)の区間に入ると、少しづつ標高を上げていきます。原生林の中を通した道は木々の中の「溝」となり、良い景色は望めません。

双岳台の標高は約747[m]。国道241号の阿寒横断道路区間で最も高い場所にあり、知床峠と同じ程度。バイクは路肩に駐車できますが、区間内の駐車場はここと双湖台だけで、眺望が良いのもこの2か所くらいです。

双岳台から弟子屈町方面へは下りの連続カーブが7[km]ほど続き、双岳台へ向かう上りはバイクにとって楽しい時間になると思います。翌日(1984年10月6日)、弟子屈町からオンネトーまで阿寒横断道路を往復しました。往路は山側が走行車線になって、紅葉と土の「茶色」の記憶が強いです。

雄阿寒岳と雌阿寒岳との「双岳」が見えるところ

雄阿寒岳の左に見えるはずの雌阿寒岳は、樹々に邪魔され確認できませんでした。2日後に行った岩保木山からは、釧路湿原を挟んで阿寒富士や雌阿寒岳、雄阿寒岳などの阿寒の山々が小さく見えました。

津別峠や摩周第3展望台からも見えると思います。1987年8月にダートを苦労して走り、やっと着いた津別峠は霧で数メートル先が見えない状態。美幌峠とは違った屈斜路湖を期待していたのに残念。もちろん「双岳」は見えず。摩周湖第3展望台では、摩周湖に目が行ってしまうのは仕方がありません。後ろを振り向くことも忘れずに。

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1987年8月、鹿追町から士幌町へ向かう直線道路で、バイクを反対車線に停めて士幌町方向を撮る。道の両側は農地と防風林が交互に現れ、道の先は丘を越える風な高低差があるように見える。

鹿追町と士幌町の間の「直線道路」

国道274号の鹿追町と士幌町の間の「直線道路」を初めて走ったのは、1984年10月のツーリングで、北海道道35号の時代。この道と足寄国道、阿寒横断道路を使って弟子屈町に行きました。その後も、沿道に美蔓パノラマパークがある道道735号と道道35号が接続して国道274号に昇格した区間は、日勝峠越え道東ルートとしてよく利用したものです。

東雲湖は周囲約800[m]の小さな湖、別名「東小沼」。雲はあるが青空が見える。青色の湖面の一部が茶色に見えるのは、湖内に植物が生えているから。対岸はクマザサの丘で草原のように見える。木々の葉は茶色になるか落ちている。緑の木はマツだろう。

北海道三大秘湖「東雲湖」

1984年10月5日、然別湖湖畔の道を歩いて東雲湖に行きました。途中で然別湖を走る観光遊覧船が見えましたが、船着き場に降りた人はいなかったようで東雲湖を独り占め。後になって船着き場は撤去され、東雲湖へのアプローチは徒歩か、カヌーなどの人力の船+徒歩の二択。秘湖に相応しい「東小沼」でした。

10月の雨は、阿寒富士と雌阿寒岳の山頂付近で雪に変わっていたが、麓のオンネトーの湖岸はいい感じに紅葉している。水深が浅い手前から奥へと目を向けると、湖水の色が澄んだ無色透明から独特なブルーへと変化しているオンネトー。

北海道三大秘湖「オンネトー」

北海道三大秘湖は、支笏湖の近くのオコタンペ湖、然別湖の近くの東雲湖、そして阿寒湖の近くにあって「観光バスで乗り付けるからな(やれやれ)」みたいに揶揄されていたオンネトー。初めて訪れた1984年10月、阿寒富士と雌阿寒岳の山頂付近は雪を冠り、その麓の湖周辺は紅葉し、誰もいないオンネトーは正に秘湖だった。

曇り空と摩周湖の湖面が同じような色に見える。手前左の木々は赤茶色く、紅葉なのか枯葉なのか判然としない。環状の外輪山の内側は水で満たされ、人を寄せ付けない火山地形の厳しさを感じる

霧は無いが寒かった「摩周湖」

1984年10月5日、午前中に然別湖畔から歩いて東雲湖へ行ったのですが、いつ雪が降って来てもおかしくないくらいの寒さ。夕方前にはそこまで走れそうな摩周湖近くのユースホステルに予約を入れ、観光地には目もくれず弟子屈町まで一気走り。暗くなるまでの時間を使って、摩周湖を見に行ったのでした。