なぜか知らないけれど、人は本州最北端とか岬の灯台などのような先端に惹きつけられるようです。1984年8月、初めての北海道をツーリングした時、積丹半島の神威岬積丹岬の遊歩道を歩きました。函館から国道5号で余市町へ、そこから国道229号に入って積丹半島東海岸側の古平町を経由するルートでした。

  • セタカムイライン *余市駅前からバス35分古平まで
  • 余市から古平にかけての海岸沿いを走る国道229号線は、隧道、絶壁の連続で、チャラセナイ滝、チリニポの立岩などの奇勝が続く。特に冬の氷滝、春の雪解け滝などは豪快。
  • - ブルーガイドパック北海道 : 1983年発行

この年の9月から10月にかけて2回目の北海道ツーリングに行き、美国 Y.H. に連泊中、余市町と古平町の間の「海岸道路」を3、4回くらい往復しました。蛸穴ノ岬とチャラツナイ岬のトンネル群をショートカットする二代目の豊浜トンネルの開通を11月に控えていたので、ギリギリ完全な「海岸道路」のルートを走ったことになります。

本当に海岸線を通っている道なので海が近く、トンネルだけ気を付ければ、気持ちよく走ることができる「海岸道路」でした。ただ、道幅が狭く、特にトンネル内では路肩が無い上にその入口、内部、出口でカーブしているものだから、大型車などはすれ違えるかどうか。知らずにオーバースピードでトンネルに進入したら、冷や汗ものです。

さすがに1958年開通の「海岸道路」がこのままでいいはずもなく……1984年以降、何回かの積丹半島ツーリングの度、ルートは山側に移動していて、拡幅された長いトンネルを走らされました。海を見ながら走ることができなくなって残念でしたが、安全のためには仕方のないことですね。

「海岸道路」開通時の写真

セタカムイ岩の余市町側「海岸道路」- 1956年開通時
左下は蛸穴ノ岬を通る蛸穴トンネル内から古平町方面を見た写真で、チャラツナイ岬の遠くにセタカムイ岩が見える。右上はチャラツナイ岬のトンネルを抜けた先の写真で、高さ150~200[m]の断崖絶壁の下をバスが走っている。

左下:蛸穴ノ岬を通る蛸穴トンネル内から古平町方面を見た写真。前方の見晴トンネルを抜けた先にあるチャラツナイ岬が見え、遠くにセタカムイ岩を確認できる。右上:チャラツナイ岬のトンネルを抜けた山側は、高さ100~200[m]の海食崖がセタカムイ岩まで続き、急崖の下をバスが未舗装の「海岸道路」を走っている。出典:古平町広報誌せたかむい224号

上の写真の左側などは SNS 映えしそうな構図ですが、このような風景を見ることはありませんでした。「海岸道路」が開通して数年後、蛸穴トンネルと見晴トンネルの合間の開口した道路部分をトンネル状の構造物で塞ぐ工事が行われたからです。

蛸穴ノ岬を貫通するトンネルの配列は、余市町側から竜仙洞 -(開口部)- 湯内トンネル -(開口部)- 蛸穴トンネル -(開口部)- 見晴トンネルの順でした。竜仙洞は、元は海食洞だったところです。湯内トンネルと蛸穴トンネルとの間は、海に石垣を積んで道路が造られました。

竜仙洞、湯内、蛸穴、見晴の各トンネル間の開口部を塞いでできた初代豊浜トンネル。ここはだめだ。トンネル内は暗い上に急カーブと狭い道幅という構造から受ける閉塞感で平衡感覚が狂いそうになりました。無理は承知で開口したままだったら、海が見えて印象も違っていたかもしれない。

そして、チャラセナイトンネルを抜けると見える、チャラツナイ岬からセタカムイ岩にかけて高さ150[m]はあろうかという急崖と、その下を通る「海岸道路」(上の写真右側や下の写真)。運転中の視線は上に向かないので横の海を見るし、既に覆道があったので、こんなところを走っていたのかと驚愕です。

1984年11月に二代目の豊浜トンネルが開通すると、初代豊浜トンネルからチャラセナイトンネルまでの区間が廃道になり、チャラセナイ滝(上の写真左側の見晴トンネルを抜けた先にある。下の写真左側)を見ることはできなくなりました。

チャラツナイ岬からセタカムイ岩にかけての急崖

二代目豊浜トンネルの岩盤崩落箇所周辺の遠景
チャラツナイ岬からセタカムイ岩にかけての海岸線は、海面からの比高100[m]~200[m]の連続する急崖が海に臨む海食崖地形になっている。チャラツナイ岬の急崖下部にある豊浜トンネル古平町側坑口に大規模岩盤ブロックが崩落した。

1996年2月、二代目豊浜トンネル古平町側坑口部上方の岩盤斜面(チャラツナイ岬の基部、赤丸印)において、大規模岩盤ブロックが崩落する事故が発生。チャラツナイ岬からセタカムイ岩(写真右下)にかけては、海面からの比高100[m]~200[m]の海食崖地形。出典:国道229号線豊浜トンネル上部斜面の岩盤崩落メカニズムに関する地質工学的考察

チャラツナイ岬からセタカムイ岩にかけて連続する急崖の真下を通る「海岸道路」の写真を見て、これと同じような地形のところ、神威岬海岸ルートを歩いたことが頭に浮かびました。念仏トンネルを貫通した岬が岩盤崩落を起こしたチャラツナイ岬に重なり、危険なルートだったのかもしれないですね。

豊浜トンネルの変遷は以下のとおりです。

  • 初代豊浜トンネルは、見かけ上1本のトンネルにはなったが、海食洞のような開口部では構造的に岩盤崩落に弱いままだった。
  • 1984年11月、二代目豊浜トンネルが開通。蛸穴ノ岬とチャラツナイ岬を貫通する「海岸道路」を山側でショートカットすることにより、トンネル内の急カーブを無くして道幅を拡げた。
  • 1996年2月、二代目豊浜トンネルのチャラツナイ岬古平町側トンネル坑口部に上方から巨大な岩盤ブロックが崩落する事故が発生。
  • 1996年12月、崩落事故の復旧が終わり再開通。復旧工事中の迂回路は、初代豊浜トンネル。
  • 1997年7月、崩落現場手前のトンネル途中から分岐して山側に大きく迂回、セタカムイトンネルの古平町側坑口の方へと合流するバイパストンネルの工事着工。チャラツナイ岬とセタカムイ岩の間の急崖の下を通る「海岸道路」のルートからより安全な山側ルートに切り替え。
  • 2000年12月、新ルートが三代目豊浜トンネルとして開通。二代目豊浜トンネルの分岐部から先、古平町側トンネル坑口部までの使用されないトンネル部分は閉鎖。

二代目豊浜トンネルの岩盤崩落事故以前、セタカムイ岩がある岬を貫通するセタカムイトンネルの余市町側(上の写真の連続する急崖側)坑口付近でも崩落がありました。その3本のトンネル急崖側坑口、そのすべてが現在閉鎖されています。急崖がここに「海岸道路」があることを拒否したとしか思えません。

  • 1953年(昭和28年)、初代セタカムイトンネルが完成?
  • 1955年(昭和30年)10月、余市町側(急崖側)坑口付近で崩落。廃道。
  • 1956年(昭和31年)8月、二代目セタカムイトンネルが完成。国道229号の「海岸道路」全線開通時のトンネル。
  • 1985年(昭和60年)12月、余市町側(急崖側)坑口付近で崩落。三代目の完成に伴い廃道。
  • 1993年12月、三代目セタカムイトンネルが開通。
  • 2000年12月、豊浜トンネルのバイパストンネル合流部から古平町側坑口までが三代目豊浜トンネルに編入。残った合流部から余市町側坑口までは閉鎖。

上の写真に見られる連続した急崖では、三代目セタカムイトンネルを除く二代目豊浜トンネル、初代および二代目セタカムイトンネルで崩落を起こしています。「陸の孤島」から解放されたいという積丹半島沿岸住民の悲願に応えるため、崩落の危険を覚悟してトンネルを通したかのようです。

2000年12月に二代目豊浜トンネルと三代目セタカムイトンネルをバイパストンネルでつないだ三代目豊浜トンネルが開通すると、急崖の真下を通る「海岸道路」へ接続する道路は無くなりました。

遠くなった蝋燭(ローソク)岩

蝋燭(ローソク)岩 - 1984年
滝ノ澗トンネル余市側坑口へアプローチする道路から約700[m]離れた沖に見えるローソク岩。

狭く暗いワッカケトンネルの出口が見えて安堵する間も無く急カーブという「海岸道路」からの不意打ちを受け流した後、滝ノ澗トンネルの手前、磯の上を走っているかのような道から見えたローソク岩。何度かの崩落を経てこの形に。なので「観音岩」という名前は近年の後付け。昔の形はせたかむい余市町でおこったこんな話で見ることができる。1984年9月撮影。

滝ノ澗ノ岬の先端に向かって海岸線を縫うように走る「海岸道路」も急崖下にあって、2000年に新しい滝の澗トンネルが開通した後は廃道に。近くに見えたローソク岩は、その展望駐車場が旧ワッカケトンネル古平町側坑口からの旧道と新道が交わるところに新設され、遠くになってしまいました。

最後に

「海岸道路」の廃道は続きます。セタカムイ岩がある沖町と古平町中心部を結ぶ「海岸道路」は、かつて海岸沿いの急崖下を歩いた時代から続く「沖村道路」。ここも山側にルートを移動して沖歌トンネルが開通(2003年)した後、廃道になりました。

2010年には新しいワッカケトンネルが開通。国道229号から分岐して白岩町を通る「海岸道路」が、かろうじて旧ワッカケトンネル余市町側坑口までの袋小路として残っています。

最終的に「海岸道路」は、より安全な山側に通した4つの長いトンネルに切り替わりました。急崖の下をいくつものトンネルを抜けながら余市町と古平町の間を走っていた「海岸道路」。バイクを停めて、チャラツナイ岬からセタカムイ岩にかけて連続する急崖を見上げてみたかったな。

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