摩周湖 Y.H. に三連泊(1984年10月5~7日)してその近場、開陽台岩保木山展望台などを回った後、雪に降られる前に北海道を離れる態勢を取っておこうと狩勝峠を越えて富良野へ。約280[km]の移動距離ですが、寒さのため活動限界時間が短くなっているので時間的な余裕はありません。

  • 富良野
  • 北海道の中心に位置し、ラベンダーやふらのワインの産地として、また富良野スキー場で人を集めている。(原文ママ)
  • へそ:富良野小学校の、東経142°16′、北緯43°24′の地点に北海道中央経緯度観測標が立っており……
  • - ブルーガイドパック北海道 : 1983年発行

夕方、富良野小学校の「北海道のへそ」で、白い綿毛がある小さな虫が飛んでいるところを見ました。あぁ、これが雪虫か。もうすぐ初雪、冬の訪れが近いのですね。今日の宿、富良野ホワイト Y.H. に着くと、摩周湖 Y.H. で一言二言言葉を交わした永井姉妹とまた一緒に。Y.H. あるあるです。翌日(1984年10月9日)は『北の国から』で有名になった麓郷へ。

麓郷は、1899年(明治32年)に創設された東京大学北海道演習林だったところです。演習林に必要な労働力は林内殖民と引き換えに集められ、1921年(大正11年)に最初の農地が払い下げられました。麓郷開拓の歴史は、この年から始まります。

「メルヘンの木」の写真の後ろに写っている大麓山(たいろくさん)は、演習林創設時の大学総長、菊池大麓(きくちだいろく)の名から頂いたそうです。その大麓山のふもとに広がるさと(郷)、麓郷という地区名は、このような意味で命名されたらしい。

農地の中のあぜ道を大麓山に向かってトコトコ走っていくと何本かの木が点々とあり、その中の2本が「メルヘンの木」だと思われました。ここから見る山々がきれいで、何度か足を運びました。残念なことに何らかの理由で2010年頃には伐採されてしまったようです。

麓郷の「メルヘンの木」再び - 1986年
1986年7月、農地を耕しているトラクターの後ろに見える2本の「メルヘンの木」は緑が濃い。曇り空の下、遠くの富良野岳や前富良野岳、大麓山などの山々の緑は霞んでいる。

2年後の1986年7月、ラベンダーの時期に再度この場所を訪れた。農作業中のトラクターが木と木の間に写り込むのを待って撮影した記憶がある。『北の国から'98時代』にこの季節の「メルヘンの木」が登場している。雪子おばさんが離婚して東京から一人麓郷へ戻ってくるシーンで。1986年7月撮影。

農地の中に立っていた「メルヘンの木」は根から無くなってしまいましたが、『北の国から'92巣立ち』や『北の国から'95秘密』のオープニングに見ることができます。『北の国から』のオープニングに映っていた八幡丘の牧草地、そこに建っていた「赤い屋根の家」も既にありません。

『北の国から』逆ロケ地巡り

麓郷の森 - 1984年
麓郷の森にて永井姉妹と。1984年秋放送の『北の国から'84夏』の中で五郎さん一家の新しい家になる建物、風車の家(3番目の家)の前で。

『北の国から』は本当に知らなくて、永井姉妹と一緒でなければ行かなかった場所。姉妹がエーコープで買ってきていた昼食用のパンなどを少しもらって食べた。「お知らせ この家は、この秋放送予定の『北の国から'84夏』の中で五郎さん一家の新しい家になる建物です。麓郷の森」と書かれた黒板を持つ隣で、何故か包丁を持つ姉サン。1984年10月9日撮影。

1984年9月27日、美国ユースホステルで『北の国から '84夏』を観たはずで、いやテレビを眺めていただけでした。テレビの無い生活をしていた者には話の流れが掴めず、内容はさっぱり覚えていません。周りのみんながテレビの前で放送が始まるのを待っていたくらいですから、人気と関心は高かったのでしょう。

ドラマの中では焼失した黒板五郎が建てた丸太小屋(2番目の家)や風車の家(3番目の家)、写真館、売店などが点在する「麓郷の森」が1984年にオープンした後、『北の国から』のロケ地巡りとして麓郷地区が観光スポットになったのは間違いないと思う。

『北の国から 2002遺言』をもってテレビドラマシリーズは終了し、麓郷に初めて行った時から20数年後、ようやく『北の国から』をレンタルビデオで観ました。自分が目にした風景をドラマ内の映像や写真などで確認するという「逆ロケ地巡り」。

手書きの「ふらの Map」

ふらの Map - 1/2
富良野ホワイトユースホステルで入手した富良野市の観光マップその1。富良野駅を中心にして東西線で分けた北方面、「富良野スキー場」や「富田ラベンダー畑」、「ワインハウス」、「北海道中心標」、「鳥沼公園」など。

1984年10月8日、富良野ホワイト Y.H. にて入手したものの、富田ラベンダー畑の花の見頃は7月中旬から下旬にかけて、富良野スキー場はオフシーズン。当時はワインを嗜む年齢ではなく、ワインハウスには興味無し。行ったのは、人生初の雪虫を見た北海道中心標の場所。3,900円の冬物衣料品?を買ったレシートが残っている金市館。そして、唯我独尊。その2へ……

ふらの Map - 2/2
富良野ホワイトユースホステルで入手した富良野市の観光マップその2。富良野駅を中心にして東西線で分けた北方面、

その1の続き……このイラストマップは1982年9月に描かれ、国道38号から麓郷街道に曲がる奇妙な交差点のところに「ようこそ北の国へ」の案内板があったようだ。「北の国から」の五郎さんちだけでなく、メルヘンの木や原始ヶ原、八幡丘、東大演習林などをレンタサイクルでゆっくり回るのもいいねと思わせるが、八幡丘の赤い屋根の家やメルヘンの木はもう無い。

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秋の青空の下、釧路湿原は黄金色一色に染まり、遠くに阿寒の山々が見える。釧路川は、岩保木水門より下流が人工河川分水路の新釧路川。水門で仕切られた先が本来の釧路川で、岩保木山を回り込んで釧路市街へと流れていく。

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乳牛用の牧草やデントコーンの収穫が終わり、雲ひとつ無い秋の青空の下、なだらかな傾斜の付いた丘の地形は、草の緑や枯草色、土の色が混じっている。その色に馴染む古びた納屋のような建物と2本の木が遠くに見えた。

富良野八幡丘「赤い屋根の家」

1984年10月、偶々目にすることとなった富良野八幡丘の「赤い屋根の家」。当時は納屋のような建物でした。波状丘陵地形の牧草地の中にあって撮影映えする景色だったのに、麓郷を一躍有名観光地にした『北の国から』に映ることはありませんでした。