前日(1984年10月6日)の午後、養老牛から斜里の方に走って清里峠から分岐するダート道の先にある裏摩周第1展望台、現在の裏摩周展望台へ行きました。開陽台は、養老牛から中標津の方に走ること十数キロ先にあるようでした。
どこに行くかは風まかせ……ではないですけれども、開陽台へ行くと決めた理由は、たぶん摩周湖 Y.H. のミーティングルームで誰かから聞いたか、そこにあった旅の資料を見たか、情報を得たからだったと思います。開陽台の場所を地図で確認し、当時持って行ったガイドブックに載っているのかを探しました。
- 開陽台 *中標津駅前からバス15分開陽下車徒歩1時間
- 広漠たる根釧原野、野付半島、知床半島、国後島と、360度の展望が楽しめる雄大な台地。
- - ブルーガイドパック北海道 : 1983年発行
「ブルーガイドパック」に載っていた釧路・根室周辺の地図に開陽台の文字を見つけたものの、縮尺が小さすぎて中標津町にあることくらいしかわかりません。当時使っていた道路地図もそれほど違わない。開陽という街から約5[km]のところにあることはわかったので、適当に行ってみることにしました。
観光閑散期とはいえ開陽台に人の姿はなかった

1984年10月7日、開陽台駐車場で東の方角を背にして撮影。酪農地と格子状防風林、号線道路、耕地防風林、残置林、河畔林などが根釧台地の景観を創り出していることがわかる。その先約20[km]にある根室海峡、三角点「武佐台」の標高269.5[m]からは判別できない。国後島、ましてや海に伸びた砂嘴である野付半島なんて……展望館の望遠鏡なら見えたのだろうか?
駐車場から階段を上がると、現在もある「地球が丸く見える開陽台」を掲げた円柱構造物。そして、八角形の2代目開陽台展望館、通称「カメハウス」。高台を囲む柵は未だありませんでした。
「昔の開陽台」で画像検索すると、1984年7月「カメハウス」連泊の様子がヒット。駐車場から展望館までの歩行階段の設置工事が写っているなど、冒頭の写真の場所が開陽台と特定するための手掛かりになりました。10月には階段に手すりが付き、工事は終わってました。展望館の中に10人近くが寝泊まり(占拠)していたようです。
1984年10月7日の日曜日。観光閑散期とはいえツーリングライダーはおろか人の姿すら見えません。さすがにこの時期まで長期滞在する猛者はいなかった、ということですね。しかし、機動力を活かしたライダーたちが7月8月の夏ここ開陽台に集まり、この場所に囚われてしまったライダーがいたことも事実。
視線を西から東、東から西へ移しているうちに地球が丸く見えたような気がした開陽台。国後島や阿寒の山々は見えませんでしたが、雲の白色が台地の平坦さを際立たせ、どこまでも続いているように感じられました。
開陽台近くの直線道路「ミルクロード」

中標津町役場の観光情報「開陽台」によると、『ミルクロード』とは牛乳を出荷するタンクローリーが走る一直線の道
が由来で町内とその周辺地域に複数存在する道路の総称
とのこと。ここが開陽台入口から続くアップダウンの道、北十九号なのかは不明。曇り空に吸い込まれるようなアップアップの道ですね。1987年8月12日撮影。
開陽台の入口から南西に伸びる約5[km]の直線道路(中標津町道北十九号)が「ミルクロード」として有名らしい。開陽台入口付近の標高178[m]から950[m]走ると54[m]ダウン、その後、10[m]から20[m]くらいのアップダウンが数回続いている。どのように見えるかは画像検索してみてください。
北十九号は走っているはずなのに全く気づきませんでした。直線道路より峠道や山道が好きなんですよ。牧場の私有地の中を通っているかのような道を走って開陽台に着いた、という記憶しかなくて……記憶が夢に、夢が記憶に浸食しているのかもしれない。
3年後の1987年8月、この時のツーリングと同じルートを走り知床まで行く途中、オンネトーや裏摩周展望台に再び寄りました。この流れでいくと開陽台にも寄ったかもしれないですが、開陽台の写真が残っていないことから推測するに、人が多くてすぐ離れたのかもしれません。