摩周湖ユースホステルに連泊して近場を巡ること3日目の1984年10月7日。釧路湿原の展望台として有名な岩保木山を目指して国道391号を南下。遠矢駅のところを右折して踏切を渡り数キロメートル先の山、くらいしかわかりません。行ってみると「展望台」は無く、撮影ポイントを探すのに苦労しました。

  • 岩保木山 *釧網本線遠矢駅から徒歩1時間
  • 釧路湿原の展望台として有名。荒涼とひろがる大湿原の中を悠々と蛇行する釧路川の姿は大陸的。
  • - ブルーガイドパック北海道 : 1983年発行

開陽台では青空が少し出ていたものの雲が多く、約50[km]先にあるであろう国後島や知床半島を見ることはできませんでした。国道391号を南下するにつれ、雲が消え秋らしい青空になってきました。遠矢駅の手前で右折すると、釧網本線と並走する砂利道です。

砂利が飛ばされ、砂が浮いた硬い道をゆっくりと慎重に走りますが、案内板など全くありません。国道から2.5[km]ほどにT字路があり、ここを右折して踏切を渡る道が岩保木山の方に続いているようでした。土の道なので、オンロードのバイクでも上りなら行けます。

ある程度上ると道は岩保木山から東方向に離れていったので、最初の分岐のところにバイクを停め、歩いて展望台を探すことにします。この時代、案内板・標柱のような気の利いたものが無いのは普通の事で、普段からタンクバックに入れている方位磁石が役に立ちました。

1時間くらい歩き回ったでしょうか。展望台らしきものは見つからず、岩保木山そのものが所謂「展望台」だったようです。本当に有名だったのでしょうかねぇ。結局、反射板がある付近からの眺めが良かったので、その辺りから写真を撮ったのだと思います。

岩保木水門は開かずの水門だったのか?

釧路湿原を流れる釧路川と新釧路川 - 1984年
岩保木山から眺めた釧路湿原の大湿地。画像手前に岩保木水門で仕切られた釧路川が右から左へ岩保木山の麓を流れる。水門がある所から下流は名前を新釧路川と変え、釧路湿原の中を海(釧路港)に向かって真っすぐ流れる。

岩保木山の麓を右から左へ流れる、岩保木水門で仕切られた釧路川。水門がある所から下流は名前を新釧路川と変え、釧路湿原の中を海(釧路港)に向かって真っすぐ流れる。180度以上の視界と高い視点から、釧路湿原の大湿地や眼下の釧路川、遠くの山々を眺めることができる岩保木山は、良い「展望地」でした。1984年10月7日撮影。

岩保木水門がある所から下流に人工河川分水路が造られた当時、水門で仕切られることになった本来の釧路川は「旧釧路川」に名称変更され、分水路が「釧路川」になりました。現在、「旧釧路川」は元々の名称、釧路川へと戻され、分水路は「新釧路川」と呼ばれています。

人工河川の新釧路川が完成した年は1930年(昭和5年)。その翌年に岩保木水門が竣工。洪水時には水門を閉じることで釧路川の水を分水路である新釧路川に流し、釧路川下流域の釧路市街を浸水被害から守ることが期待されました。

平常時には水門を開け、従来通り船による物資輸送や木材流送に利用する予定が、上流からの流れは新釧路川に分流されたため釧路川下流の水位が下がり、船の航行が困難に。既に船は新釧路川を使っているし、釧網本線も開通して物資輸送には鉄道が使えるし、「水門閉じたままでいいんじゃね」

ということで、岩保木水門の門扉は、一度も開くことはなかったようです。昔の空中写真を見ると、水門付近の釧路川は干上がっています。でも、上記1枚目、2枚目の写真で見られる1984年10月の釧路川は、水門が開いているかのように水が満ちています。翌年の新水門建設と関係があるのか?謎です。

人気は岩保木展望台から細岡の湿原大観望へ

1984年のツーリングで使っていた地図を見ると、「岩保木山」と「細岡」の地名に丸印が書き込まれています。摩周湖ユースホステル連泊中に釧路湿原の眺望が良いところという情報を得たからだと思うのですが、ガイドブックに「細岡」の記述は無かったし、岩保木山から釧路湿原を眺めて満足だったし、細岡に行くことはしませんでした。

釧路湿原を蛇行して流れる釧路川 - 1993年
岩保木山から細岡に通ずる林道から眺めた9月11日の釧路湿原は未だ一面緑色。道脇の木々が邪魔をして視界は広くなく、手前に濃い緑色のハンノキ林、湿原の中を蛇行する釧路川をなんとか確認できる。

1984年10月7日に岩保木山から釧路湿原を眺めた時は一面黄金色だったのに、9月11日の湿原は未だ緑色です。濃い緑色はハンノキ林か?その左端に釧網本線の線路らしきものが見える。蛇行する釧路川とその先の直線の新釧路川もなんとか確認できる。新釧路川の分水地点にある新岩保木水門は、見えているのかもわからない。1993年9月11日撮影。

1993年9月、丹頂鶴自然公園に寄った後、二度目の岩保木山へ。山道に入るとオフロードバイクがガンガン走っていたため、岩保木山の「展望地」はスルーして細岡へ。その道は尾根のようなところを走るフラットな林道で、道脇の木々が邪魔しなければ上の写真のように視界は開けていました。

1986年に細岡駅から「湿原大観望」までの2.5[km]を40分掛けて歩いて行った、という釧路ユースホステルに泊まった時の想い出を「でぇあぶつさんのスナップ帖」で見ました。現在の最寄り駅である釧路湿原駅は、釧路湿原とその周辺が国立公園に指定された1987年の翌年、観光客が増えることを見込んでの開業ですね。

  • '87 北海道最新情報「釧路湿原国立公園」誕生!
  • ……湿原展望台、岩保木山、サルボ展望台などからの景観は本当に素晴らしい。だが、極めつけの眺望、ということであれば、大観望をお勧めしたい。
  • ……釧網本線細岡駅前から岩保木山の裏側に通ずる林道脇に案内標柱が立っており……鉄道もない、バスもない、何の施設もない所だ。……
  • - 旅 1987年7月号 : 日本交通公社

「湿原大観望」の場所は、現在の展望広場から階段を下りたところの林道の脇、湿原側にあったようです。周辺の木々が伸びて眺望が悪くなると、その後に新設された展望広場が「大観望」に。さらに木々が伸びて展望広場からも湿原が見えにくくなり、現在の細岡展望台が「大観望」を受け継いだと推測されます。

釧路湿原の展望台と言ったら、今では細岡展望台が一番人気。対して観光地として整備されなかった岩保木山展望台。そもそも最初から展望台など無くて、自分で展望地を探した岩保木山。70~80年代に訪れた人が記憶を辿り懐かしむ、オコタンペ湖登山道や神威岬への念仏トンネル経由海岸ルートのような場所になってしまったようです。

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