夏休みも残り10日あまり、同級生の友人と北海道へ行こうという話になって、東北をひたすら北上した1984年8月21日。碇ヶ関付近の国道7号線でスピード違反で止められるなどして、青森県とはどうも相性が悪い。警察官の言葉は、波に揺られる小舟の中で聞こえてくるようなイントネーション。聞き返してもあれなので、おとなしく青切符にサイン。

8月22日、青森発・函館行きの朝の便に乗りそびれて、昼過ぎに着いたのかな。東日本フェリーの料金は、2等1,400円+バイク2,200円の計3,600円。駅前に行き、夕張メロン2玉3,000円(送料1,200円)を買って実家に送る。結局、函館泊。夜は居酒屋、3人で6,650円也。宿に帰る頃には雨が降っていたのだった。

オコタンペ湖登山をした後、帰路は効率良く快適に移動したいと思い、苫小牧発・仙台行きのフェリー(太平洋フェリー)を使いました。料金は、2等8,600円+バイク4,600円の計13,200円。暗くなる前に出港、翌日昼前に仙台着なので、その日のうちに余裕で家に着きました。函館から送った夕張メロンは、既に食べられていた。

苫小牧発・仙台行きフェリー「きたかみ」乗船待機 - 1995年
苫小牧発・仙台行きフェリー「きたかみ」の乗船が始まるのを待っているライダー3人組。10月にもなると日暮れ時間が早く、真っ暗。

10月6日昼前に苫小牧着。季節は、本州より1ヶ月以上進んでいるような感じ。10月初旬なのにもう寒いし、日暮れの時間も早く、まともに走れる時間は1日8時間くらい。しっかり防寒対策をして利尻島と礼文島へ弾丸ツーリング。苫小牧フェリーターミナルに戻ってきた10月9日、仙台行きフェリーに乗船するバイクや乗用車は、少なかった。1995年10月9日撮影。

荒れた天候の日には快適とはほど遠く、揺れで気持ち悪くなる前に飲んで酔ってしまえばいいんだなどという謎理論を実践してもしなくても、一定ではない揺れの周期や大きさ、方向にエンジンの振動が加わって「沈没」寸前という人が多くいました。

90年代に乗ったフェリーで、船酔いしそうと感じたことは無かったと思います。すぐ上の写真は、仙台行きの「きたかみ(初代)」に乗船しようと待っているところ。わかりにくいですが、船名を確認できます。80年代後半以降、太平洋フェリーの新造船には、揺れを抑制するフィンスタビライザーが付いていたはず。

1984年8月の仙台行き同年9月の苫小牧行き同年10月の仙台行き、1986年7月の苫小牧行きと仙台行き、1987年8月の苫小牧行きと仙台行き、これら7回は揺れやすい船に乗ったと思われます。初めの頃は、揺れと腹に響くエンジン音に慣れなくて食欲減退。お金の余裕が無い学生だったこともあって、値段が高い船内レストランを利用できませんでした。

初めて乗船した時は、食欲減退という軽い船酔いになるとは思ってもいなくて、でも揺れに慣れてくると少しは空腹を感じるもので、レストランが閉まった後、多くの人の小腹がすいた頃を見計らって聞こえてくる「おにぎりはいかがですか」のアナウンスは、悪魔のささやきだった。どうしようかと迷っている間に、おにぎりは売り切れになるのでした。

苫小牧発・仙台行きフェリー「きたかみ」乗船待機 - 2000年
苫小牧発・仙台行きフェリー「きたかみ」の乗船待ち中。7月は出港時間になっても未だ明るい。

2000年7月19日昼前に苫小牧着、22日夜にはフェリーで仙台へ、という短い休みが故のいつもの弾丸ツーリング。1987年8月に断念した羅臼湖へ漸く行けた。思い返せば、この時が最後の北海道。8月のお盆休み繁忙期を避ければ、予約しなくてもフェリーに乗船することができた。1987年と1991年の8月は……今となってはいい思い出。2000年7月22日撮影。

1987年8月15日「2等座席指定券 No.臨時席」

Uターンラッシュの時期に苫小牧発・仙台行きフェリー(東日本フェリー)を利用することになった1987年8月15日。札幌の大通り公園のところにバイクを停めて、さて何しようかと考えていたら、偶然にも会社の同期に声をかけられた。彼はフェリーを予約済だったが、もう予約が埋まっているらしい。

函館まで走って青森に渡るか、苫小牧でキャンセル待ちするか。休みは明日までなので、今日中に北海道を発たなければ間に合わない。駅ビルに入っている六花亭でお土産を買ってから苫小牧に向かいました。

可能な限り乗船させるためだろう。2等料金相当の「2等座席指定券 No.臨時席 C27,28」が船室でした。バースナックの部屋が臨時の2等船室になったのか、それとも貸し切りの和室がそうだったのか、1983年8月に別府発・大阪南港行きフェリーに乗った時も「臨時席」でしたので、記憶があやふや。

「座席」には軍隊が使うような毛布が置いてあり、そのスペースは体育座りができる程度しかなくて当然身体を横にすることができない。家族連れなどは、上位のクラスの船室にアップグレードしていたようです。お金が無い人たちは、公共スペースの椅子や廊下など思い思いの場所で寝ていましたね。

ちなみに、1987年8月9日仙台発の苫小牧行きフェリー(太平洋フェリー)は、予約無しで乗船できました。船室はドライバーズルームの洋室(ベッド)。ライダーは知らない者同士でも盛り上がって一般客の迷惑になるから、隔離されたのかもしれない。

1991年8月、キャンセル待ち失敗

苫小牧から走ること約24時間後 - 1991年
1991年8月のUターンラッシュ時に苫小牧発・仙台行きフェリーに乗れず、苫小牧から函館へ移動、フェリーで青森に着いた後は高速道路を無の境地で走り、家までもう少しというパーキングエリアで休憩。

札幌で現地集合。夜にサッポロビール園で楽しんだ翌日は、苫小牧発・仙台行きフェリーを楽観的にキャンセル待ち。希望は打ち砕かれ、函館まで夜通し走ることになった。フェリーターミナル手前から続く長い車の渋滞をすり抜け、数便先の青森行きフェリーを予約完了。酒盛り→寝る→起きる→乗船時間は未だ先。下船後は東北道を無の境地で走った。1991年8月撮影。

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現在の道道78号支笏湖線の路肩にある展望台から見ることができるオコタンペ湖。手前の木々が邪魔をして、湖の一部しか見えない。湖面は、周りの原生林の色を映しているかのような藍色というか独特の青色をしていた。

北海道三大秘湖「オコタンペ湖」

1984年8月27日、オコタンペ湖登山口から歩いて湖岸まで下りました。後年、自然保護の観点から登山道の整備は計画段階で中止、案内板等も撤去。ひっそりと姿を隠しました。長期間ほぼ全線で通年通行止だった道道78号支笏湖線。2023年7月、展望台までの通行止は解除されたものの、湖面がほんの少し見えるのみ。「秘湖」らしくなってきてよろしい。