神威岬コースの海岸ルートを歩いた後、日司あたりで昼食。ツーリング中は、朝と夕の2食にして浮いた昼食代をガソリン代の一部に充てていたので、普段なら昼食抜き。この時は、神威岬の突端から海面を覗き込む気持ちで注文した「うに丼」を食べ、今でも美味しかったことが忘れられない。1,200円か1,500円だったか……

積丹岬自然遊歩道は、入舸の島武意海岸入口から積丹岬東海岸側の断崖の上を通って幌武意の道道913号野塚婦美線に出る約4.7[km]。駐車場から直ぐのトンネルを抜けると島武意海岸、遊歩道沿いには順に出岬灯台、笠泊海岸、女郎子岩といった見どころがあります。

駐車場に近い島武意海岸や出岬灯台までは行っても、緩やかにアップダウンしている遊歩道を女郎子岩まで歩く人は少ないでしょう。駐車場から往復1時間20分くらいかかりますから。そのせいなのか神威岬に行ってきた後の積丹岬コース参加人数は、約1/3に減っていました。

標高130[m]の出岬灯台展望台から、遊歩道の道筋といくつかの小さな岬の中にピリカ岬の平坦なピークが見えます。源義経と恋慕う仲になったアイヌの娘「シララ姫」の化身と信じられた女郎子岩、それに至る積丹岬自然遊歩道は、「シララの小道」とも呼ばれているようです。

  • シララの唄(YouTube)
  • 遥か蝦夷地に逃れ来た 義経主従の武者姿
  • 北の乙女の優しさ抱き 海の藻屑と消え去った
  • 哀れ 積丹 女郎子岩
  • 哀れ 積丹 女郎子岩
  • 乙女の想い岩となり 積丹訪る旅人に
  • あなたが恋しと語りかけ 波のしぶきで頬濡らす
  • 哀れ 積丹 女郎子岩
  • 哀れ 積丹 女郎子岩
  • シララが想う波の果て 君が来たりしあの地より
  • 今はゴメのみ飛び交わん 悲しき叫びは波の音
  • 哀れ 積丹 女郎子岩
  • 哀れ 積丹 女郎子岩

連泊した美国 Y.H. で毎晩聞かされました。「♪哀れ 積丹 女郎子岩」の部分しか覚えていなかったけれど。積丹岬コース参加者は、女郎子岩に向かって投げキッスを3回するのがお約束でした。理由はわかりません。

ピリカ岬

ピリカ岬の眼下に見える女郎子岩 - 1984年
ピリカ岬は、現在の展望台から女郎子岩を見て右側にある断崖絶壁がそう。岬のピークは平坦で、三角点(標高138[m])がある。観光地ではないため柵などは一切無く、恐る恐る眼下の女郎子岩を撮った。

現在の展望台から見える女郎子岩、その右側に見える断崖絶壁がピリカ岬。岬のピークは平坦で、三角点(標高138[m])がある。観光地ではないため柵などは一切無く、恐る恐る眼下の女郎子岩を撮った。向かいに見える名も無き岬の標高が約130[m]。これらと比較して、女郎子岩の高さは40[m]くらいではないかと推測。1984年8月24日撮影。

ピリカ岬は、サスペンス劇場の中で追い詰められた犯人が3秒で自白してしまいそうなほぼ垂直に切り立った崖が海に突き出ています。遊歩道からピリカ岬にある三角点までは100[m]ほど離れていて、道を外れて入っていきました。

ピリカ岬で記念撮影 - 1984年
美国 Y.H. 岬めぐりツアー御一行様、ピリカ岬にある三角点の近くで記念撮影。

ピリカ岬にある三角点の周辺は、50[m]四方くらいの平坦地になっていた。シララ姫は、密かに船出した義経主従の後をここまで追ってきて、岬の突端に近づいていきながら想い人の名を叫んだのかもしれない。美国 Y.H. 岬めぐりツアー御一行様が記念撮影したところよりももっと先へと…… 1984年8月24日撮影。

実は翌日も岬めぐりツアーに参加しました。美国からバスに乗って、ちょうど上の写真の旗に描かれている絵(バスが向かう先には神威岬と神威岩)のように。積丹岬だったらどんな絵になるだろう?女郎子岩か島武意海岸か。

前日はバイク乗り(革ツナギにブーツ)の恰好で、翌日はフェリー内で過ごすために持参したビーチサンダルで歩きました。意外に歩けるもので、2日後にも仕方なくビーチサンダルでオコタンペ湖溶岩を登って湖岸に降りました。旅先で歩くのはいいですね。

関連する他の二輪旅写真

美国 Y.H. 岬めぐりツアー御一行様、1時間近く海岸沿いを歩いてきたにもかかわらず、疲れも見せないで神威岬展望広場に集まって記念撮影。右後方は神威岩。

海岸を歩いて目指した「神威岬」

1984年8月下旬、バイクで初めての北海道をツーリング。美国 Y.H. の積丹半島岬めぐりツアー「愛とロマンのサスペンスコース」、神威岬コースと積丹岬コースに参加しました。「バイク乗り」は歩くことを避けがちですが、徒歩でなければ行けない場所なので、歩く旅の楽しさをちょっとだけ体感したのでした。

現在の道道78号支笏湖線の路肩にある展望台から見ることができるオコタンペ湖。手前の木々が邪魔をして、湖の一部しか見えない。湖面は、周りの原生林の色を映しているかのような藍色というか独特の青色をしていた。

北海道三大秘湖「オコタンペ湖」

1984年8月27日、オコタンペ湖登山口から歩いて湖岸まで下りました。後年、自然保護の観点から登山道の整備は計画段階で中止、案内板等も撤去。ひっそりと姿を隠しました。長期間ほぼ全線で通年通行止だった道道78号支笏湖線。2023年7月、展望台までの通行止は解除されたものの、湖面がほんの少し見えるのみ。「秘湖」らしくなってきてよろしい。

1984年9月26日、美国 Y.H. 開所13周年記念の特別な夕食およびミーティングは、なんとビール飲み放題。酔いもまわったところで最後にみんなで歌を歌ってお開き。

美国ユースホステル開所13周年記念

1984年9月26日、美国ユースホステルの開所13周年記念日に宿泊しました。その日の特別な夕食およびミーティングは、なんとビール飲み放題。プレイベントの運動会に参加するなど多くのホステラーが連泊して初対面ではなかったため、盛り上がりました。美国 Y.H. に泊まったことがある人に懐かしく見てもらえれば幸いです。

1984年8月26日、小樽市塩谷海水浴場付近から遠く積丹半島を望む。竜ヶ岬の後方に尖ったシリパ岬が見える。そこから右に積丹岬の東海岸側が水色、薄水色に見える。

旧国道229号「シリパ・セタカムイライン」

古平町のセタカムイ岩から余市町のワッカケ岬までの岬群にトンネルが掘られ、海岸線沿いに造られた「海岸道路」は、1958年(昭和33年)10月に国道229号として全線開通。1984年8月、慎重な走りを要求される道でしたが、トンネルを抜けては目に飛び込んでくる海に目を奪われました。