「愛とロマンのサスペンスコース」は、美国 Y.H. の岬めぐりツアー。写真付きの絵地図で説明されても何が「愛とロマン」なのか分からず終いでしたが、「サスペンス」はたぶんあれでしょう。火曜サスペンス劇場など2時間ドラマの最後に出てくるあの場面。神威岬コースや積丹岬コースにもありました。
午前中は神威岬コース。「食堂うしお」の脇を通って海岸に出ることから始まる海岸ルートを歩いて神威岬を目指します。地理院地図では海岸沿いに徒歩道(=破線)があるのですが、「道」があるのは最初だけです。
海岸に出ると見るからに岩石海岸で、海の水の運動エネルギーによって山地が浸食された結果として形成された、急峻な崖(断崖)が続きます。岩がゴロゴロしているのは、崖が崩れ落ちたからでしょうか。
この海岸ルートは落石の危険があるため、1989年以降立ち入り禁止になっているようです。4年後には立ち入り禁止ですか……もっと写真を撮っておけばよかった。
海岸ルート

前日の雨は止んでいたが、雲で覆われた空。急崖から崩れ落ちた大小様々な岩や石が堆積した歩きにくい海岸の途中、海面から少し出た平坦な岩場に残った巨大な岩。積丹 Y.H. では「きつね・たぬき岩」と呼んでいたらしい。岩の右側に見えるワリシリ岬をトンネルで抜けたあちら側、余別からバスを降りて歩く。岩の後方遠くに見えるのは積丹岬。1984年8月24日撮影。
歩を進めると、岩や石がゴロゴロした海岸の幅は徐々に狭くなり、念仏トンネルが通っている「岬」に近づいていきます。「岬」自体が巨大な岩の塊ように見え、それは当然のように急崖で、海に没しているその根元は、今まで歩いてきたところのような海岸であればまだ良かった。

ワクシリ岬を越えるため、ここに掘られた念仏トンネルに向かって波打ち際を岩壁伝いに難儀して歩く、美国 Y.H. 岬めぐりツアー御一行様の後続組。波に濡れるのは必至。なかなか歩が進まない女子の周りに男子が付いて行く……ああ「愛とロマン」を演出する場所は、真っ暗なトンネルに入る前から始まっていたのか、と数十年後に気付く自分。1984年8月24日撮影。
神威岬から余別の街に行くための海岸道は、神威岬灯台の職員とその家族が生活する上で欠かせない道でした。灯台の初点灯は1888年(明治21年)。念仏トンネルが完成する1916年(大正7年)まで、海岸道を分断する「岬」を越えるには、急崖の波打ち際を岩壁に張り付きながら岩礁を渡らなければなりませんでした。
1912年(明治45年/大正元年)10月29日、灯台職員の家族が天長節のお祝いに余別へ食料などを買い出しに行く途中、「岬」付近で荒波に足をさらわれて海に落ちて亡くなるという水難事故が起きます。この事故をきっかけにして、「岬」に手掘りのトンネルが作られたと言われています。
念仏トンネルは全長約60[m]、中はクランク状に曲がっているため先が見えず真っ暗、ということを後で知りました。真っ暗だったという印象は無く、80年代は20歳代男子の約70[%]はタバコを喫っていた訳で、トンネルの中はライターの火が連なっていたのではなかったかと思います。

美国 Y.H. 岬めぐりツアー御一行様、念仏トンネルを通り抜け、水無しの立岩の前で記念撮影。後方人影が見える岩場は、灯台職員とその家族が急崖の岬を越えるため、波打ち際を命懸けで渡った海岸道だったとは、知る由もなかった。トンネルを境に空気や色が変わったように感じられ、前方に目指すべき岬が見えた。海岸歩きも残り半分。1984年8月24日撮影。
念仏トンネルを出ると、海に突き出た神威岬の全景が目に入ってきます。ただ、どこがゴールなのか、どのくらい石ゴロゴロの海岸を歩かなければならないのか、比較対象が無くて距離や大きさの見当がつきません。
700[m]ほど行った先で、岬の尾根の中で最も低い標高約31[m]のところ(「ラクダの背」の首根っこに相当)まで階段を使って上がるようです。歩きにくい海岸からやっと解放されると思ったら、「ここ登るのかよ」と力が抜けたことを思い出しました。革ツナギにブーツというバイク乗りの恰好で歩いていたから。
1989年以降、海岸ルートは立ち入り禁止になっているため、長年整備されていない階段の所々が土砂に覆われ、そこに草木が生え、チャレンカの道(尾根道)から階段の存在を気付くことができるかどうか……
尾根道に上がったら300[m]ほどで灯台、そこから少し先に冒頭の記念写真を撮った岬展望広場があるのは現在と同じです。以上が神威岬への海岸ルート。「食堂うしお」脇から岬展望広場まで、道草を食いながら1時間くらいかかったと思います。
尾根ルート

現在の「女人禁制の門」をくぐったところから見た神威岬と岬先端へと続く尾根道。冬期間や悪天候の日は尾根道を通りたくないな、整備された「チャレンカの小道」でも。日高地方のアイヌ首長の娘チャレンカ。恋仲になった彼女を捨てた義経を追ってこの岬までたどり着いたのに、彼は海の彼方大陸へ。彼女は尾根道を通って岬先端に立ったのか。1984年8月24日撮影。
帰路は尾根ルートを歩きました。現在の「女人禁制の門」までの柵の作りが頑丈になった他は、当時の尾根道と変わっていないようです。
「女人禁制の門」から駐車場を抜けたあたりまでもほぼ同じルートで、背の高い草や笹の中に通っていた踏み分け道を黙々と歩くこと約40分。「食堂うしお」脇に抜ける近道がありました。
神威岬の夕日

「女人禁制の門」から神威岬先端までの尾根道は、「チャレンカの小道」という観光地的な名前が付けられていた。「門」の手前に大きな駐車場ができたことでアクセスは便利に。「門」から灯台が見えて近そうに思うけれど、歩くとなるとやはりしんどい。1997年9月13日撮影。

日の入りは18時少し前だったと思う。展望広場には意外と多くの人が集まっていた。夕日の赤で染まる空。影となって浮かぶ雲。そして空の夕日色が映っている海。沈む太陽に向かって進んでいるかのような船。展望広場の岩場に座って夕日を眺めている人の影。紛うことなく神威岬から見た夕日なのだ。1997年9月13日撮影。
- 神威岬 *余市駅前からバス1時間30分余別下車徒歩1時間
- 北海道西海岸随一の海路の難所といわれるこの岬は、海面から約80[m]もの断崖をもつ。白亜の灯台や眼前に屹立する神威岩やメノコ岩などの景観がすばらしい。夕陽の名所。
- - ブルーガイドパック北海道 : 1983年発行
「夕陽の名所」と言われても、日没後にあの尾根道を、それに続く獣道のような昔の道を40分も歩きたくはない。神威岬から夕日を見たのは、国道229号の未開通区間が開通して積丹半島を周遊できるようになり、神威岬が「観光地」として整備された後の事でした。