北のくらし旅人の宿・美瑛「ほおずき」は、「麓郷の森」で見てきたばかりの黒板五郎三番目の家のような外観の建物でした。

『北の国から'84夏』で丸太小屋が全焼した後に、農家の廃屋を直して住むことになった家が三番目の家。開所13周年記念週間中の美国 Y.H.連泊中に放送を見たはずですが、『北の国から』自体を知らなくて記憶に無し。

屋根にドーマー(屋根の斜面から突き出た小さな屋根付き窓)が付いていたのが印象に強く残っていて、それ以外は似ていなかったかもしれない。でも、離農後の家を直したところは同じかなと思う。屋号と住所、電話番号などが入ったゴム印を押したクラフト紙の裏に、次のような紹介文が手書きで書いてあったので。

  • 定員9名の小さな民宿ですが、手作りの民宿です。ここの主人は、リュック1つで北海道に居ついて、民宿をやっている人です。
美瑛というところを知ったきっかけ - 1984年
美国 Y.H. 近くの運動広場で行われた開所13周年記念運動会に参加した。隣接する公園の噴水に腰かけて休憩しているペコポコチームの面々と、その前を横切るピースサインを出した美国 Y.H. のヘルパー。

美国 Y.H. 開所13周年記念イベントの運動会での1コマ。きっかけは、手前のピースサインをしているヘルパー。8連泊中にヘルパーたちの寝酒に付き合うようになり、ヘルパーの仕事が終了後の打ち上げに誘われ、札幌で飲んだりした中で、美瑛や「ほおずき」の事を聞いたのだと思う。彼女は翌年の春、札幌に住むことになった。1984年9月24日か25日に撮影。

公衆電話ボックスの電話帳で「ほおずき」の電話番号を調べ、宿泊予約の電話を入れて行き方を聞く、という何とも手間のかかる昭和の時代。美瑛町中心部から正面に見える十勝岳連峰に向かってまっすぐのびる道道966号十勝岳温泉美瑛線を走ること約12[km]。

道の左右には農地が延々と続き、めぼしい目印も無く、どのようにして「ほおずき」まで辿り着いたのやら。バス停の記憶が確かにあるので、スクールバスか町営バスかはわからないけれど後ろを付いて行き、最寄りのバス停まで迎えに来てもらったのだろうか?

箸でハエを捕まえる男

富良野市八幡丘から道道162号(現在の道道253号)で富良野市街へ戻ろうとしたら、舗装道は終わりダートに。下り始めに急勾配のスプーンカーブが見え、進むのを諦めました。引き返したことで「赤い屋根の家」の写真を撮ることができたのですが、時間ロス。

美瑛町に行くのは初めてで、「ほおずき」の電話番号もわからない。少し焦ったけれど薄暗くなる前に「ほおずき」到着。その後、十勝岳連峰の写真を撮るために裏の農地に入ったら、ハエがたくさん。酪農が盛んな土地ですからね。

日中は10[℃]を越える気温でも、朝晩は氷点下になる時もある10月。薪ストーブで温まった部屋は、活動限界のハエにとっても心地良いと思うが、非常に緩慢な動きを見たら箸でハエを捕まえられそう。自分は箸をハエに近づけ挟もうとしても逃げられる……

食後は、白金温泉で温泉に入り、一人500円くらい出し合って永井商店で酒の買い出し、宿に戻って酒を飲みながら雑談、という流れ。みなさんいろいろな意味で「旅人」のようでした。翌日(10月10日)は、その「旅人」の人たちに誘われて富良野の唯我独尊へ。

酒を飲みながらの雑談の中で丘のことを耳にして、3日目の10月11日、美瑛の丘を歩いてみようかと美馬牛駅まで行ってみました……

丘の風景に溶け込めない男

丘の見どころマップ 美馬牛コース - 1987年
丘をぬける風の中でゆったりとしたひとときを……美馬牛コース新星。丘の見どころは8か所。農地を縫うコースになっているため、ダート道が多い。畑は農家の人の生活の場です、決して入ってはいけないヨ!

この「ほおずき」オリジナル地図は1987年8月に入手したもの。「ほおずき」で作られた一枚の手描きのマップから美瑛の丘物語(生活の場を観光資源とする観光地)が始まったそうだ。美馬牛コースは「ほおずき」⇔美馬牛駅の全長約16[km]。7⃣千代田公園内の拓真館と、その近辺の丘の風景を感じられる5⃣や6⃣が主な見どころ。2000年になってようやく訪れた。

1986年7月ラベンダーツーリングで「ほおずき」泊。近くにあったシベリアタイガーパークに何故か行きました。サファリ形式の園内をバイクで移動するのは自殺行為なので、パークのボロい軽自動車を借りて見学。赤ちゃんトラを抱かせてもらったのに写真を撮らなかったことが悔やまれる。

夕食はピクニックのように外で。「ほおずき」の敷地にさくらんぼの木があって、実を捥いで食べたけれど桜桃8号のよう(現在の品種と比べたら甘くなく美味しくないという例え)。翌28日は、美瑛駅北西部をバイクで走ってから苫小牧へ移動。

1987年8月知床キャンプツーリングの帰路、14日に「ほおずき」泊。夜、三沢地区の盆踊りに連れて行かれ、ビール早飲み競争に強制参加。酔いに任せ踊りまくった。翌15日の苫小牧発仙台行きフェリーに乗船しないと休みのうちに家に着くことができなくなるので、丘や木はスルーして札幌へ。

2000年7月、やっと7⃣千代田公園 拓真館へ。周辺は観光客がたくさんいて、美瑛が多くの人に知られるようになったと実感しました。この時購入した、とんがり屋根の美馬牛小学校が写っている「朝霧の丘 1985」をA2サイズに印刷したものは今でも手元にあります。

……初めて美瑛に行った1984年10月。2階の屋根裏のような部屋の窓から下を見ると、日陰のせいか雪が融けないでわずかに残っていました。でも、日中の陽射しは気温以上に暖かく感じられ、何もない美馬牛駅の前で地べたに座っていても寒くはなかった。

腰を上げて足を前に出そうとしても重い。また座る。長い時間、美馬牛駅の前に留まって、丘を歩くことはありませんでした。「旅人」にはなれないな。「ほおずき」に3泊もして美瑛の丘の魅力を感じることもせず、宿帳にメッセージを残し、札幌でお土産を買ってから北海道を離れたのでした。

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乳牛用の牧草やデントコーンの収穫が終わり、雲ひとつ無い秋の青空の下、なだらかな傾斜の付いた丘の地形は、草の緑や枯草色、土の色が混じっている。その色に馴染む古びた納屋のような建物と2本の木が遠くに見えた。

富良野八幡丘「赤い屋根の家」

1984年10月、偶々目にすることとなった富良野八幡丘の「赤い屋根の家」。当時は納屋のような建物でした。波状丘陵地形の牧草地の中にあって撮影映えする景色だったのに、麓郷を一躍有名観光地にした『北の国から』に映ることはありませんでした。

1984年9月26日、美国 Y.H. 開所13周年記念の特別な夕食およびミーティングは、なんとビール飲み放題。酔いもまわったところで最後にみんなで歌を歌ってお開き。

美国ユースホステル開所13周年記念

1984年9月26日、美国ユースホステルの開所13周年記念日に宿泊しました。その日の特別な夕食およびミーティングは、なんとビール飲み放題。プレイベントの運動会に参加するなど多くのホステラーが連泊して初対面ではなかったため、盛り上がりました。美国 Y.H. に泊まったことがある人に懐かしく見てもらえれば幸いです。

仙台行きフェリーの船上から苫小牧の港の方を見ると、空に羽を広げた鳥のような雲影が。落陽には時間が早く、雲間から日が差していた。

苫小牧発・仙台行きフェリー

北海道から本州へ戻る時は、苫小牧発・仙台行きフェリーをよく利用しました。北海道最終日は夕方までフェリーターミナルに着けばよいので、1日フルに走れます。フェリーに乗船し、船上から別れを惜しむ紙テープを投げたこともありました。北海道へまた来てね、みたいなイベントで。快適じゃないこともあったな、昔のフェリーには。

日の出公園は上富良野駅の約1[km]東に位置し、平地との比高約50[m]の高さに展望台があり、その北西方向斜面にラベンダー畑が広がっている。現在設置されている「かみふらの八景」の看板近くから北西方向を撮影。ラベンダー畑の先に緑の平地と丘陵地形が見える。

富良野ラベンダーツーリング

7月の富良野と言えばラベンダー。今では近くの県営公園でも見ることができるけれど、富良野の土地に咲くラベンダーと空気は現地に行ってこそ体感できる景色。あてもなくバイクでトコトコ走った波状丘陵地は、まったく観光地ではない大麓山や前富良野岳の麓。一面ポピーで覆われた丘もきれいだった。