インスリン1単位はウサギが低血糖の痙攣を起こす量
普段、何気なく使っているインスリンの用量の単位である「単位」は、
- 医薬品としてのインスリンの効果を表す量
- 生物学的活性の強さ=力価
を表しています。
1921年、Frederick Banting と Charles Herbert Best は、膵臓からの抽出物アイレチン(後のインスリン)を糖尿病のイヌに投与したところ、血糖降下作用があることを発見しました。
翌年の1月には、どんな物質かもわからないウシ膵臓抽出物をヒトに試したのですから、驚愕です。ケトアシドーシス昏睡で亡くなる運命の患者としては、一縷(いちる)の望みを賭ける思いだったでしょう。
兎に角、適切な血糖降下作用を与え得ることを確認した上で、ヒトに注射しなければなりません。低血糖の昏睡で亡くなってしまっては、本末転倒ですから。
そこで、ウサギを使ったバイオアッセイを使用して、インスリンの効果を表す量が測定されました。
インスリンの「単位」
インスリン1単位は、血糖値をどのくらい下げる効果があるのでしょうか?
「人それぞれです」と答えるしかない質問です。理由は、内因性インスリンの分泌能やインスリン標的器官の感受性が各人で違うからです。
とは言え、医薬品としてのインスリンの効果(生物学的活性の強さ、力価)を決めておかなくては、投与量を決めることができません。
1923年に質問されたのであれば、
- インスリンを1単位注射されたウサギなら、低血糖の痙攣が起こる血糖値にまで下がる
と答えることができました。
血糖値が45[mg/dl]以下になると、ほとんどのウサギは低血糖の痙攣を起こすことから、インスリンを定量する方法としてウサギが用いられたのです。
1922年は、インスリンを含んでいたウシ膵臓抽出物(この時はアイレチン;isletinと呼んでいた)を世界で初めて1型糖尿病の少年に投与した年です。
当時の技術では、一定純度のインスリンを得ることが非常に困難であったため、物理量で表すことができなかったのでしょう。
1923年には、世界保健機関(WHO; World Health Organization)の前身である国際連盟保健機関によって、インスリンの1単位は次のように定義されました。
- 24時間絶食状態にした体重約2[Kg]の健康なウサギの血糖を3時間以内に痙攣を起こすレベルにまで下げ得る最小の量
インスリンの1単位を正しく測定するためには、上記で定義された量を測定システムおよび標準物質によって、1単位の量として具体化しなければなりません。
- 測定システム
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通常は、物理的化学的分析で用いる各種分析機器や試薬を使うが、その代わりに動物を使うバイオアッセイを用いた。
- ウサギ血糖による定量法(pdf)
- 標準物質
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医薬品の生物学的活性の検定法に用いる国際的基準薬品となるもの。
- 国際標準品
インスリンは、既にイーライリリー社(アメリカ)やノボ ノルディスク社(デンマーク)などが製造・販売していました。
1924年当時の技術レベルのインスリン乾燥粉末を世界数ヶ所の施設から集めて混合し、各施設においてウサギ血糖による定量法で力価を算定したところ、混合インスリン乾燥粉末1[mg]あたり8.6単位前後でした。
1925年、この混合インスリン乾燥粉末1[mg]の力価は8単位であると改めて定義され、これをインスリンの国際標準品としました。
インスリン国際標準品
インスリン国際標準品の最近の改定は1987年で、ヒト、ブタ、ウシの各インスリンについて個々に国際標準品が作成され、次のように定義されました。
インスリン製剤の力価は、この国際標準品と比較して算定します。
- 国際標準品
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- ヒトおよびブタインスリン 1[mg]あたり26単位
- ウシインスリン 1[mg]あたり25.7単位
最初の国際標準品から比較すると、1[mg]あたりの力価は大きく向上しました。
初めは、動物の膵臓からインスリンを抽出・精製する技術が未熟だったため、多くの不純物が含まれていましたが、インスリンの結晶化の成功は、動物抽出インスリンの純化に貢献しました。
さらに、インスリンと共結晶を作るプロインスリンなどの不純物を除去した高純度のモノコンポーネント(ブタおよびウシ)インスリン製剤が主流になりました。
その後は、遺伝子工学の進歩により、動物由来のインスリン製剤から遺伝子組換え技術によるヒトインスリン製剤へと代わっていきました。
インスリン国際標準品は上記のように定義されていますけれども、第十六改正日本薬局方では、ヒトインスリン乾燥物に対し1[mg]あたり27.5単位以上を含み、乾燥減量は10[%]以下
、と規定されています。
乾燥減量が無かった場合、ヒトインスリン乾燥物1[mg]は27.5単位なので、ヒトインスリン1単位は0.0364[mg]とみなすことができます。
ただし、個々のインスリン製剤における1インスリン単位が0.0364[mg]です、ということではないです。
ノボラピッド®やレベミル®は、遺伝子組み換えヒトインスリンですけれども、構造が僅かに違うインスリンアナログ(ヒトインスリンに類似したもの)です。
ノボラピッド®のアミノ酸配列は、B鎖28位のプロリンがアスパラギン酸に変わっています。
ちなみに、ブタインスリンのアミノ酸配列の違いは、ヒトインスリンB鎖30位のスレオニンがアラニンになっているところ1箇所です。
インスリンアナログ製剤は、インスリン作用動態が内因性インスリンと同等になることを目指して開発されていますが、今でも動物を使ったウサギ血糖降下法やマウス痙攣法によりインスリン製剤の力価を算定しているのでしょうか。
第十六改正日本薬局方(pdf、2230ページ!)の「ヒトインスリン(遺伝子組換え)- 425」を見ると、定量法という項目がありまして、試料と標準品を規定の操作でそれぞれ液体クロマトグラフィーにより試験を行なって、規定の式から「インスリン単位/mg」を算出することになっていました。ですよねー。